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JCAS Review

地域研究 JCAS Review Vol.19 No.1 2019  P. 1-18  公開日:2019年3月29日
研究ノート

復興支援と手作り商品の物語
──東日本大震災被災地を事例として

山口 睦

山口大学人文学部 准教授

YAMAGUCHI Mutsumi

 
Ⅲ  創出の物語
 

1 東北マニュファクチュール・ストーリー
 「Ⅰ はじめに」で提示したように、橋本和也はみやげ物購入時の店主や製作者との出会いや交流など、観光者自身の体験や事情がみやげ物にまつわる「ものがたり」となって、観光体験に真正性をもたらすと指摘した(橋本 2011:47-48)。

 被災地における手作り商品も物語が重要である。その商品の成立、作り手の思いなどを取材、公開しているHPとして「東北マニュファクチュール・ストーリー」がある*9。このHPは、被災地で地元の女性たちが中心になって地元の素材を使ってアクセサリーや雑貨を手作りしている団体を取り上げ、「ものづくりの様子を貴重な文化遺産としてアーカイブしていくプロジェクト」である。「マニュファクチュール」という表現は、一般に時計業界で使用される言葉で、企画・構想の段階から部品の制作・組み立て・研磨・仕上げといった製造工程をすべて自社で行うことを意味するという。それを踏まえて、東日本大震災後に東北各地で行われているものづくりの現場において「復興を目指してものづくりに取り組む人々の姿に心を打たれて」、ものづくりに対する姿勢に共通するものを感じてこの表現を使用しているという。

 東北マニュファクチュール・ストーリーの運営・コーディネートは一般社団法人「つむぎや」が担当し、取材・文章は外部のライターが担当、発足当時はサポート企業としてスイスの時計メーカージラール・ペルゴ社が資金提供していた*10。当サイトでは、2013年2月から2017年8月までに福島、宮城、岩手を中心とした69団体を取材している。内訳は岩手県11件、福島県16件、宮城県37件、広域5件(上記3県内の複数自治体)である。

 一般社団法人つむぎやは、当初、後述する宮城県牡鹿半島における手仕事ビジネスである、マーマメイド(宮城県石巻市鮎川浜)、OCICA(宮城県石巻市牧浜)に関わっていた。被災地の食品を紹介するHPはある一方、自分たちも含めて手作り商品を紹介するサイトがなかったため、被災地の手作り商品全般を紹介するためにこのHPを始めた。

 たとえば、2013年12月にアップされた宮城県石巻市鮎川浜の「マーマメイド」の紹介は、物語前編、後編、つくり手インタビュー、商品紹介で構成されている。現地の写真、作り手の写真などを織り交ぜながら、地域や震災後の状況を説明し、話し手の言葉を引用しながら、事業発足のきっかけ、商品開発から販売までのプロセスなどを説明していく。ミサンガ作りにたどり着いたプロセスは以下のように語られる。

「最初は色々やったよな。ツタでリースつくろうとしたり、石ころとか、貝殻とか使おうとしたり。なんでものづくりだったかって? だって何も無いんだもん、そこらにあるもので何かをつくるしかないっちゃ」

 ミサンガ作りの難しさ、作り手同士の関係性、その後、つむぎやの協力により香川県で行われた野外フェスティバルでの売り出しの様子が記述される。メンバーの娘2名が現地に行き販売を担当した。つむぎや代表の友廣裕一はその様子を次のように表現した。

 

「お母さんたちにとって、自分たちでつくったものを売るなんていうの初めてのこと。『本当に売れるの?』 『こんなのに1,000円もつけて誰が買うんだっちゃ』と半信半疑でした。それが、実際に売ってみたらすごい好評で。純粋に『可愛い』と買ってくれる人が多くて、娘さんたちから報告を受けたお母さんたちは、テンションが上がって喜んでいました。あとから振り返ると、これがひとつの転機だったなと思います。」

 

 ミサンガ作りの後継プロジェクトとして、売上を貯金して、弁当屋の店舗(「ぼっぽら」)を建設し、運営していく様子が描かれる。ミサンガを野外音楽イベント(香川県で開催されている「モンスターバッシュ」)で購入した男性が弁当を買いに来てくれた様子も語られる。

 

「実際、3年連続でモンスターバッシュに来たっていう男がぼっぽらまで弁当食べに来たんだよ。1人でバイクに乗って、わざわざな。しょうがねえからジュース出してやったよ(笑)」。

 

 つくり手インタビューでは、生産者の女性が登場し、日々の作業風景、これまでの流れ、作業に向かう気持ちなどが語られる。商品紹介では、商品の説明、価格、団体名、代表名、人数、サイトURLなどが提示されている。また、2017年3月には、マーマメイドのその後として、プロジェクトの終わらせ方を考えるという記事が掲載された。弁当屋を経営していた2016年12月に土地の嵩上げ工事にともない、建物を解体することになったのだ。移転先を探すなど活動を継続する方向性を探っていたが、近隣の飲食店の再開などによる需要の減少もあり、2016年2月に牡鹿漁業協同組合の「おしか番屋」ができたことにより発展的解散となった。女性たちが弁当屋を主体的に運営していたからこそ、納得してこの事業を終わらせられたと述べられている。おしか番屋は、つむぎやがプロジェクトマネジメント(企画立案、設計・建築管理)を行い、完成後の運営は牡鹿漁業協同組合が行っており、漁師の休憩小屋、魚の二次加工、朝市の開催など地域内外の人々の交流の場として活用されている。このように各団体について丁寧に事業プロセスが説明されていく。紹介の効果としては、最終頁に各活動団体へのリンクが貼られているのみで、直接商品を販売するなど流通や販売補助機能は担っていない。

 つむぎやの代表である友廣裕一によれば、商品などの物は変化するがものづくりに携わっている人の気持ちは変化しないという。作り手やNPO団体などの関係者だけだと活動に限界があるが、その活動のストーリーに他の人が集まると感じている。プロジェクトや商品であるものの可能性を広げるためにストーリーが必要だという。

 生産者のストーリーを重視するこの姿勢は、手作り商品のプロデュースにおいても一貫している。つむぎやでは、宮城県石巻市牧浜で被災女性たちが中心となる手づくり商品プロジェクトをプロデュースする際に、地域の資源を利用しようとしていた。石巻市牡鹿半島で食肉加工に携わる猟友会の人から鹿の角を100本ほど無料で譲られ、何か商品にできないかと試行錯誤の末に、鹿の角を加工したアクセサリー「OCICA」を開発した(写真2)。

 
 
 
写真2 OCICAと鹿革ペンケース
2017年12月21日 筆者撮影
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 プロダクトデザインは、色々な会社に依頼したが、鹿の角から何個もとれて、素人でも加工できる製品というと難しかった。最終的にNOSINGERというデザイン会社が引き受け、実際に女性たちの技術レベルや鹿の角製品などをみてもらい、要望を伝えてデザインしてもらった。参加する女性たちが分業して単なる内職仕事にならないように、硬い角に切れ込みを入れる難しい作業も含めて、一人一人が最初から最後まで責任をもって生産に関われるように訓練したという。完成した商品のタグには、生産者一人一人の屋号を記した。当初は、委託販売方式で国内外で約80店舗に卸していたが、多い時で700個ほどの商品が流通しているが売れないと賃金も払えないという状態があった。そのため、生産者の数が減ったのを機に、低空飛行でも続けられるように取引先を30店舗に絞り、買い取り方式に変更した。

 猟友会の人には、この牡鹿半島の鹿の角だけでなく、鹿皮も何かに加工できないかと相談されていた。それ以前、皮は廃棄料を払って捨てていたという。この鹿皮を使った製品作りのパートナーを探していたところ、牡鹿半島の先端に位置する障害福祉サービス事業所「くじらのしっぽ」と出会った*11。友廣は、震災前から障害者が健常者よりもはるかに低賃金で働いている状況に疑問を抱いており、鹿革製品の事業パートナーとして「くじらのしっぽ」と協力していくことになった。OCICAとは異なり、知的障害や精神障害をもつメンバーが作業しやすいように、生産工程を細分化して、鹿皮のペンケースなどを作成している。OCICAと同じように鹿角製のペンダントを作らないのはなぜかという筆者の問いに、友廣は「みんな作りたいモノが違う、自分たちのモノだという思いがないと商品に愛着がわかない」と述べた。また、牡鹿半島の人が作るから鹿皮のペンケースが一個6,800円で売れる、牡鹿半島の人が作るからストーリーが完結するのだと説明された。消費者は、この土地に生息する鹿の皮を、この土地に暮らす人たちが時間を費やして大切に手をかけてつくることで生まれる、効率性などを超えた土地固有の価値に共感するから支払うのだと友廣は認識している。被災者がつくるからという寄付感覚の消費は長続きしない。

 次に、生産者が被災者であること、つまり「被災地性」の脱却を志向している団体を取り上げる。

2 気仙沼ニッティング

 気仙沼ニッティングは、宮城県気仙沼市に2013年6月株式会社として設立された手編みセーターの製造販売会社である。コピーライターの糸井重里が発案者であり、主に気仙沼市内の中高年女性達が編み手となり、オリジナルの毛糸を使用したオリジナルデザインの手編みセーターを高価格帯(7万円から20万円程度)で販売している。常設店舗は、気仙沼市に2014年秋に開店した(写真3)。店舗は、主に土日のみのオープンとなっており、商品の販売は、この店舗とHPからのインターネット経由に限られている。他に、2017年の5月から第一土曜日に東京のカフェに出店している。気仙沼ニッティングの発足の経緯は、上述の糸井が代表を務めるウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」や、社長である御手洗瑞子による著作(御手洗 2015)が発表されており、以下これらからまとめる。

 
 
写真3 気仙沼ニッティング店舗
2017年1月14日 筆者撮影
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 他の多くの被災地における手仕事ビジネスと異なり、気仙沼ニッティングは、計画段階から会社化を目指して企画された。主に気仙沼で被災地支援を行っていた糸井が「被災地の品物だから」ではなく、買う人が心からほしいと思う一流のセーターをつくろうと考えた*12。糸井は、会社のアイデアを記したメールにおいて、近代の「均質なものをすばやく大量につくる」ことへの疑問を提示し、「ばらつきがあって、少量しかできなくて、時間がかかるもの」が今の日本社会では求められていると指摘した。大量生産大量消費の正反対のモデルを、東日本大震災の被災地において生み出したい、と記している*13。ここには、「Ⅱ  手作り商品を取り巻く状況」で述べた20世紀後半に世界で起こった価値観の転換が見て取れる。また、当時ほぼ日刊イトイ新聞ウェブサイトにニットデザイナーの三國万里子が登場して、社内で手編みブームが起こり、機械や人に任せればいい作業を自分ですることの楽しさが認識されていたことも背景としてあるだろう。糸井は、「手編みって、まばらだったり、でこぼこしてたりでそろってない、同じ目がひとつもない。その曖昧さが、人のつくる物にある、心臓がどっくんどっくんいってる感じなんです」と発言している。彼らはこの手編み、手作りのセーターに込められた作り手の人間性こそが気仙沼ニッティングの商品の核となっていると認識しているといえるだろう。

 糸井に依頼され社長に就任した御手洗は、なぜ気仙沼で手編みセーターを選んだのかという問いに、編み物ならすぐに始められ、編み物作家の三國の協力が得られ、気仙沼という漁師町における編み物文化が存在したためと答えている。さらに、重要なポイントとして、「編み物は『服』が作れる」ため、ファッション界での多様な付加価値を含めた複合的な価格設定が可能であり、労働集約的な「手仕事」であっても採算がとれると記している(御手洗 2015:33-36)。この点は、他の手仕事ビジネスが小物であり、低価格であることと対照をなしている*14。糸井は、漁師町とセーターというキーワードから、アイルランド西部にあるアラン諸島に伝えられていたフィッシャーマンセーターを参考にしようと思いついた。先述したように、ほぼ日刊イトイ新聞の事業に関わっていた編み物作家の三國が協力し、2012年6月にアラン諸島へ視察旅行に行った。その後、京都の手芸糸専門店とオリジナル毛糸を開発し、ニットデザインを行った。これらのプロセスは、ほぼ日刊イトイ新聞HP上に連載され、初回の売り出しは、ほぼ日刊イトイ新聞ウェブサイト上で2012年12月に抽選販売で開始された。以上の流れから当初はほぼ日刊イトイ新聞の読者を購買者として想定していたことがわかる。その後、2013年6月に株式会社として設立した。

 2016年1月時点での品ぞろえは、セーター(75,600円、194,400円)、オーダーメイドカーディガン(151,200円)などがある(写真4)。気仙沼ニッティングの商品の特徴は、オーダーメイド、セミオーダーメイドが可能なことである。2017年9月から発売になった「Me」というセミオーダー製のセーター(86,400円)は、「ご注文をご希望の方は、気仙沼ニッティングのお店『メモリーズ』か、コーネルコーヒーでの展示販売会にお越しください」と説明される。

 
 
写真4 気仙沼ニッティング店舗内
2016年2月20日 筆者撮影
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 編み手の数は、2016年2月当時で練習生を含めて60名程度である。HPには、38名の編み手が、顔のイラスト入りで紹介されている。たとえば、「みつこさん」の紹介文は下記のようである。

「みつこさんは、いつも明るく楽しそうで、どんな状況も笑いにしてしまうすごい人。仮設住宅に住んでいたときは、きっと苦労も多かったと思うのですが、みつこさんの話す『仮設住宅面白ハプニング』の話にみんながどっと笑うほどでした。義理のお父さんは遠洋漁業の漁師さんで、以前船に乗っていたころは漁場につくまでの間船の中で自分のセーターを編んでいたのだそうです。編みものをしているみつこさんを見て『俺も昔編んだんだ』とよく言われたのだとか。みつこさんの編んだセーターは、どこか楽しげで軽やかです。みつこさんの人柄がにじみ出ています」*15

 編み手にもよるが、早い人で最も単純なセーターをひと月で2、3枚編みあげるという。オーダーメイドカーディガンは、1年待ちだという。注文の手順は、採寸のために気仙沼の店舗に来る、編み経過のお知らせメールを受け取る、商品を受け取りに気仙沼に来るである。採寸、受け取りは来店せずにメールなどで行うことも可能である。商品は、紙製の箱に入れられ、証明書が添付されている。編み手の名前とナンバーがかかれ、1点ものであることが記されている。気仙沼ニッティングのセーターを手に入れようとすると、この年単位の待ち時間、空港のある宮城県仙台市中心部から車で3時間かかる気仙沼までの旅路、編み手との個人的な交流が買い手をまちうけている。

 店舗は、地元の住宅地の細道を登っていき、気仙沼湾を見下ろす高台にある。店舗に入ると左手には小上がりがあり、畳敷きの空間では数人の編み手が編み物をしている。その空間には鏡や試着室があり、試着すると編み手が「こっちの色の方が似合ってる」 「どっちもいいじゃない」などとアドバイスをしてくれる。基本的にはもくもくとセーターを編んでいるが、質問をすれば気さくに答えてくれるし、編み手同士も編み方の確認などをしている。開店当初は、このようなデモンストレーションは行われていなかったが、編み手が交代で常駐することによって、店舗に来た客が「ほんとうに編んでるんだ」と感心、安心するようになったという。

 その後、気仙沼ニッティングは、2016年1月に「脱・被災地企業」として、編み手の募集を被災地以外の気仙沼市周辺の岩手県、宮城県の7市町村に拡大した*16。慢性的な編み手不足の解消を目指して、住宅が店舗から車で約1時間以内の距離に位置し、技術の習得のため週1回の練習会に参加できる人を対象にした。これにより、編み手が東日本大震災によって甚大な被害を受けていない地域の人になる可能性がでてきたのである。つまり、消費者にとって東日本大震災の被災地支援としてセーターを買うという動機がゆらぐかもしれないということである。HP上で、御手洗はこの被災地企業という保護貿易状態をやめて、会社も編み手同士も切磋琢磨してよりよいものを生み出す会社にしていくと説明している。編み手は、「『お客さまにいいものを編んでお届けする』という志を共有し、ここで一緒に技術を習得し、気仙沼ニッティングが認めるクオリティの商品を編む人」であると明言される。この脱被災地企業という方針は、会社の発案者である糸井の言葉にも表れている。

 確かに、気仙沼ニッティングのセーターには、特注の毛糸が使用され、人気のニット作家がデザインするなど品質をもとにブランドが確立されており、他の手編みニットとの差別化が図られている。消費者がそれを求めている限りは、編み手が誰であっても関係ないといえるだろう。また、技能の習得が難しく、誰でもできる仕事ではない。しかし、本当に被災地企業ではなくても運営していけるのだろうか。つまり、人々は、被災地支援でなくとも気仙沼ニッティングの高いセーターを買うのだろうか。言い換えれば、倫理的消費の要素が薄まっても事業が継続できるのだろうか。この問題は、時間の経過とともに明らかにされていくだろう。

■ Ⅳ 結論

 本論では、東日本大震災後の被災地における手仕事ビジネスをとりまく状況が、これまで主に先進国による途上国の支援といった構造で行われてきたフェアトレードや倫理的消費といった枠組みと共通することを事例から示した。海外と国内といった違いはあるものの、経済的弱者、社会的弱者、とくに女性の就業支援として裁縫や編み物といった手工芸が選択される点も共通している。

 また、東日本大震災後の被災地で、女性を中心にした手仕事ビジネスが多く興り、消費者に受け入れられたのは、「Ⅱ 手作り商品を取り巻く状況」において指摘したように、1970年代以降の世界における消費文化の変化、それを受けて日本社会における消費の場、消費倫理の変化が背景としてあったといえるだろう。

 つむぎやの活動からは、次のことが明らかになった。つむぎやが関与したOCICAのアクセサリーとペンケースの商品開発では、地元で捕獲された鹿の角や皮革を使用し、なおかつ被災地の人間が加工するという「被災地性」が強く意識されていた。デザインや品質へのこだわりに加えて、原材料による地域性の表象と、被災者が作っているという被災地性の要素が復興商品として、全国の消費者にアピールするのである。代表の友廣が「牡鹿半島の人が作るからストーリーが完結する」と述べたように、この商品にまつわる顛末、物語の重要性の認識が、ものづくりを紹介するHP東北マニュファクチュール・ストーリーの活動に繋がっているのである。

 その一方で、気仙沼ニッティングにおいては、アイデア段階から「被災地性」から脱却することが意識され、2013年の会社設立から約3年後の2016年には編み手を被災地外からも募集するという方向に舵をとった。気仙沼ニッティングの脱被災地性がどのように消費者に受けとめられるかは今後の課題となろう。しかし、そのことと、東日本大震災後の気仙沼市で事業を興す被災地支援という思想性や、実際に被災地において雇用を増やし、全国の消費者を気仙沼の店舗へと引き付け、編み手との交流を生み出すプロセスは矛盾しないだろう。この生産者の「脱被災地」すら被災地に設立された企業が成長していくという物語のひとつであるという読み解き方、受けとめかたもできよう。

 両者は震災後に新しく興った手仕事ビジネスであり、産地との結びつきは、生産者が被災者である事実を核として、鹿の角や皮などの原材料の調達や、「漁師町」と手編み文化といった「地域性」の要素によって演出されている。この手作り商品において演出される「地域性」は、みやげ物がもっていた地域文化の真正なる表象物という形式に則っている。

 さらに気仙沼ニッティングにみられるような「被災地限定」販売という方式は、人々を被災地へと旅させる力を持つ。被災地を巡り、被害について学び、防災を意識する復興ツーリズムの中で、「被災者」が作った手作り商品はみやげ物として観光体験に真正性を付与する。商品を手に入れるまでの待ち時間、旅の経験、作り手との交流などの、獲得された物語は、観光経験を意味あるものにする。オーダーメイドのカーディガン、商品に付された作り手の名前、似顔絵、屋号といった情報は、手作り商品をさらに個別化する仕掛けとして働いている。今後も被災地における復興ツーリズムにおいて、これらの手作り商品はみやげ物として重要な役割を果たしていくだろう。

謝辞

本論は、2016年度JCAS次世代ワークショップ企画「伝統文化とグローバルな観光現象のせめぎあい:みやげものを巡る政治・文化・ものがたり」における発表をもとにしている。また、本論は、JSPS科学研究費26770298、17K03271の助成を受けたものである。調査にご協力いただいたみなさまに感謝申し上げる。

 
 
 
 
 

 
*9 東北マニュファクチュール・ストーリーHP参照(http://www.tohoku-manufacture.jp/index.html、2017年9月13日閲覧)。一般社団法人つむぎやの代表友廣裕一に、2017年8月19日に話を伺った。友廣は、大学卒業後、全国の農山漁村を訪ね歩き地域おこしの活動を行っていた。東日本大震災の発生後、知り合いのNPO団体(「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト」)の活動に参加して、仙台、登米、牡鹿、雄勝などの避難所で必要な物資やニーズの聞き取り、マッチングを行っていた。そのような活動の中で、牡鹿漁協の組合員を紹介され、地域の女性たちが何かやりたいといっているので相談に乗ってほしいと依頼され、ミサンガ作り事業を手助けすることになったという。
*10 スポンサーは2017年9月においてTRICKSTERS GROUPになっている。
*11 障害福祉サービス事業所「くじらのしっぽ」は、運営主体が社会福祉法人石巻祥心会であり2009年6月に設立された。みやぎ生協が被災地における新しい手仕事ビジネス団体と福祉施設の商品を掲載した「手作り商品カタログ」を発行する動機の一つになったように、震災後に障害者施設による手作り商品は売る機会や場所を失うなど困難な状況に陥っていた(山口 2018a)。
*12 ほぼ日刊イトイ新聞は、糸井重里個人のウェブサイトとして1998年6月に始まり、その後手帳や衣料、食品などの物販を行い、2017年3月に株式会社として上場した。東京都港区青山に事務所があるが、2011年11月に気仙沼に支社を開設した。クラウドファンディングサイトの一つである「セキュリテ被災地応援ファンド」のメンバーと知り合いになり、気仙沼に支社を作らないかと提案されたことから気仙沼とつながりが生まれたという。
*13 ほぼ日刊イトイ新聞HP内、「いいものを編む会社。――気仙沼ニッティング物語」より(http://www. 1101.com/knitting/2012-08-31.html、2017年9月13日閲覧)。また、2016年2月20日、2017年1月14日に気仙沼ニッティング店舗で店員、編み手の方々に話を伺った。
*14 宮城県の手作り復興商品の生産団体88団体が扱っている商品中、2,000円以下が70%を占めている(山口 2018b:194-195)。
*15 気仙沼ニッティングHP、「編み手さんたち」より(https://www.knitting.co.jp/knitter、2017年11月29日閲覧)。
*16 気仙沼ニッティングHP、「お知らせ」より(https://www.knitting.co.jp/news/page/15、2019年3月11日閲覧)。具体的な市町村名は不明である。
 
 
参考文献・引用文献
 
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ほぼ日刊イトイ新聞「いいものを編む会社。――気仙沼ニッティング物語」(http://www.1101.com/knitting/index.html、2017年8月9日閲覧)

■著者紹介
①氏名(ふりがな)……山口睦(やまぐち むつみ)
②所属・職名……山口大学人文学部・准教授
③生年と出身地……1976年、福島県
④専門分野・地域……文化人類学・日本
⑤学歴……東北大学大学院環境科学研究科
⑥職歴……尚絅学院大学非常勤講師(2009年~2011年)、亜細亜大学国際関係学部非常勤講師(2011年~2015年)、東北大学東北アジア研究センター・教育研究支援者(2015年~2017年)
⑦現地滞在経験……オーストラリア

⑧研究手法……インタビュー、参与観察、文献調査
⑨所属学会……日本文化人類学会、日本民俗学会、IUAES(国際人類学民族科学連合)、観光学術学会

⑩研究上の画期……2011年東日本大震災。日本の東北地方や東日本の現在を調査・研究する際には東日本大震災の影響や文脈を無視することはできなくなりました。自らの住む地域で起こった大規模な災害であり、災害人類学に着手するきっかけとなりました。

⑪推薦図書……高倉浩樹・山口睦編(2018)『震災後の地域文化と被災者の民俗誌――フィールド災害人文学の構築』新泉社。

 

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