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地域研究

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JCAS Review

地域研究 JCAS Review Vol.17 No.1 2017  P. 53-56  公開日:2017年3月30日
書評

Shohei Sato

Britain and the Formation of the Gulf States:

Embers of Empire
Manchester: Manchester University Press, 2016. 

評者 長沢 栄治

NAGASAWA Eiji

 本書は、イギリスのペルシャ湾南岸地域(以下、湾岸)からの撤退の分析を通じて、脱植民地化の意味を問い直した実証研究である。一世紀半に亘り、イギリスの非公式帝国の一部であった湾岸は、1971年にアラブ首長国連邦(UAE)、カタル、バハレーンの三か国として独立した。この脱植民地化は、民族自決の主張に導かれたのではなく、帝国支配の時代に培われた宗主国=従属地域の協力関係の延長として、主権国家体制が拡大・定着した結果だ、というのが本書の主張である。以下に、章別構成を示す。

序論
第1章 「海賊」から主権国家に、1819‐1964年
第2章 労働党の湾岸への執着、1964‐67年
第3章 ジェンキンスと撤退の決定、1968年
第4章 ジレンマと遅滞、1968‐70年
第5章 「秘密」協定、1971年7月
第6章 公式的な主権と継続する協力関係、1972年
結論

 第1章では、湾岸がイギリスの非公式帝国の支配秩序に組み込まれた歴史を概観する。17世紀に通商目的で湾岸に進出したイギリスは、やがて同地域をインド支配の「防疫線」とし、現地の首長勢力を一方的に「海賊」と見なして、1820年以降、「休戦協定」を結び支配秩序に取り込んでいく。この「洗練された征服者」は、各首長に「プチ国家」の元首の地位を与えて住民を統治させ、固定的な領域区分を持つ主権国家の仕組みを導入したのであった。
 第2章では、労働党ウィルソン内閣が湾岸からの撤退を決断する前の時期について、通説を批判する。通説によれば、湾岸からの撤退は「スエズ以東」からの撤退の一部、あるいは極東からの撤退の論理的帰結とされてきた。しかし、1967年7月にベトナム戦争を背景とした労働党内の要求により、シンガポールやアデンなど「スエズ以東」からの撤退が決まったとき、湾岸はその対象外であった。また、同年6月の中東戦争も湾岸堅持の方針に決定的な影響は与えなかった。加えてアラブ民族主義の浸透などに対しても、宮廷クーデターの操作など非公式帝国の自己修復機能により対応可能であり、湾岸から撤退する予定はなかった。
 第3章では、ウィルソン内閣が従来の方針を覆し、突如、湾岸からの撤退を決断した要因を明らかにする。撤退を決めたのは、外交政策決定の中枢部ではなく、ジェンキンス大臣率いる大蔵省であった。当時のイギリスは、ポンド急落による経済危機に直面し、財政政策の大転換が迫られていた。社会福祉予算の削減額に対し、湾岸での軍駐留経費はわずか50分の1である。しかし、湾岸は「スエズ以東」からの撤退というレトリックを用いるときに地理的に「分かりやすい候補」だったため大蔵省に押し切られ、わずか20日で湾岸からの撤退が決定された(1968年1月)。しかも、この「宣伝の政治」の効果を狙う大蔵省の主張が通り、撤退時期も1971年末とされたのであった。
 第4章では、突然の撤退の決定に対する湾岸の首長およびその他のアクターの対応が考察される。イギリスは、各首長の困惑やアメリカの心配をよそに、国内政治の短期的な事情で一方的に湾岸からの撤退を宣言した。驚いた首長たちは当初、英軍の残留を懇願し、日本でいう「思いやり予算」を提案するが、自分たちは白人傭兵ではない、とすげなく拒絶される。しかし、そこからの動きは素早かった。イギリスの関知しないまま、アブダビとドバイの両首長が積年のライバル関係を乗り越えて交渉を開始。9つの首長国が会議を開いて、カタルの提案により連合独立案(ドバイ協定)が決議された。周辺国のサウジアラビアは、この案を支持するが、イランはバハレーンを14番目の州と主張し、イギリスが仲介に乗り出さざるを得なくなる。こうして独立の歩みは遅滞する。
 第5章では、三か国分離独立に至る最終局面が分析される。1970年6月にヒース内閣によって政権に復帰した保守党は当初、労働党政権の湾岸撤退の方針に反対だった。しかし、湾岸の首長たちが撤退を前提にして交渉を開始している状況を見て、「時代画期的な変化」を理解し、政策を転換する。独立の最後の段階で重要な役割を果たしたのは、交渉をリードする二つの首長国、アブダビとドバイの連携と、以前に首長国間の複雑なジグソーパズルのような国境線の画定(第1章で紹介)に尽力した駐在官ウォーカーのシャトル外交であった。アブダビとドバイは、新しい連合国家において、いわば国連安保理の常任理事国のような特権を自分たちに与える「秘密」協定を結んだ。アブダビがドバイを対等に扱ったのは、初代UAE大統領となるザイード首長が寛容な人柄だっただけではなく、両国がともに1971年内の独立に向けての時間切れを恐れたからだ、とする。
 第6章では、イギリス撤退後の1970年代の湾岸の主要な政治トピックを取り上げ、この地域の脱植民地化が持つ歴史的含意を総括する。第一は、UAEへの加入をしぶったラアス・アル・ハイマ首長国が、冷戦を利用してアメリカへの接近を図り、独立を狙うが阻止される経緯である。結局、国際社会は、独立したくなかった国(UAE)を無理やり独立させながら、民族自決の要求(ラアス・アル・ハイマ)を抑え込んだのだった。また、UAE独立直前にイランがペルシャ湾上の三島を占領したのも、イギリスとの裏交渉を経た織り込み済みの行動だったとする。
 第二は、1973年10月の第一次石油ショックである。これは独立間もない三か国がもはや米英の「操り人形」ではないことを明らかにした事件だった。もっともイギリスの外務省は当時、湾岸の産油地帯の軍事占領の可能性を検討していたのだという。第三は、1950年代以来、サウジアラビアとの間で係争中だったブライミ・オアシスの帰属問題が、新しい主権国家システムによって解決されたことである。最後に著者は、ニクソン政権の「二柱」政策(イランとサウジアラビアに依拠した湾岸政策)にも触れ、キッシンジャー国務長官によって後の時期になって過大に脚色された可能性が高いとする。
 本書は、イギリスと湾岸諸国での8年間に及ぶ徹底した史料調査の成果である。また、上記のアメリカの「二柱」政策の資料的検証のように、関係者への聞き取り調査の情報も使われている。すでに紹介したように、著者は、史料の精力的な渉猟によって、まず第2章・第3章で「スエズ以東」からの撤退と湾岸の位置づけをめぐる通説を批判する。この議論から見えてくるのは、外交政策の変更の理由の説明でレトリックを用いた口実や言い訳がなされる事例は、最近の日本に限らず多く見られるということなのだろう。
 続く第4章以降の本論というべき後半で中心となるのは、脱植民地化をめぐる議論である。湾岸産油国の独立とは、多くの国で民族主義史観が主張する、民族自決を求める運動の成果ではなかった。かといって一部の先行研究が唱えるように、英国の政策決定者が描いたシナリオ通りの意図的な結果でもなかった。湾岸の脱植民地化において、帝国の側あるいは新規独立国の側のいずれかが主導的な役割を果たしたのではない。むしろそれは、イギリスの外交官や首長たちの間で交わされた交渉の一連の偶然の産物であった。このことを示すのが、著者が発見した新史料、アブダビ・ドバイ「秘密」協定文書である。同文書はUAEの公文書館には存在せず、イギリスで発見されたことにこそ、交渉の偶然的経緯という特徴が示されているのだ、という。
 新たな史実の発掘によって明らかにされる交渉の経緯は、一幕の劇を見るような面白さがある。登場するのは、英国と湾岸首長国の主役だけではない。地域大国のイランやサウジアラビアという脇役に加えて、小さな脇役とでもいうべきクウェイトにも役割が与えられている。域外の大物役者のアメリカは、舞台には登場するものの、ベトナム戦争で手一杯で気もそぞろ、湾岸をイギリスの「保護国」ではなく「保護領」と間違って認識するなど関心が薄かった。
 脱植民地化の劇を彩るのは、イギリスのアラビスト外交官や湾岸首長国お抱えの外国人のアドバイザーなどによる一連の交渉である。そこには空疎な歴史叙述ではなく、人間の顔が描かれている。しかし、それは脱植民地化という国際政治システムの変動プロセスにおける、システムの個々の部分の政治機能が人格化したものと見なすべきであろう。たとえば、この劇が展開する国際社会のルールである主権という概念を、ある首長のレバノン人アドバイザーが強調する姿は、まさにその典型例のように見える。
 著者が本書の中で何回か言及するのは、ルイス=ロビンソンの「脱植民地化の帝国主義」論である。脱植民地化とは、大英帝国の諸地域が第二次世界大戦後、米英同盟という新たな支配秩序の枠内で国民化されnationalized、国際化されてinternationalizedいく過程であった。著者が強調するのは、この帝国的関係の再構築において基本的なデバイスとなる主権の理念であり、その結果としての主権国家の公式化であった。本書は、豊かな実証研究によって、この時代画期的なプロセスの肉付けに成功している。
 中東には個性の強い国家が多い。中でも湾岸産油国は、世界に類を見ない特異な個性で知られる。しかし、こうした特殊な事例の分析を通じてこそ、世界史的に普遍的なプロセスである脱植民地化の隠された本質を明らかにすることができる、というのが著者の本意であったかと思う。
 最後に、止めどもない悲劇が続く現在の中東の状況に対し、本書が描く世界から何が見えてくるのかを考えてみよう。アメリカの「二柱」政策は、本書が述べるように、オマーンのドファール紛争に介入した「湾岸の憲兵」イランが中心であった。しかし、当時の細い「柱」でしかなかったサウジアラビアが、今や自らの意思でイエメンを空爆している。2011年以降、民衆蜂起が起きたバハレーン・リビア・シリアに対する湾岸各国の積極的な介入は、1970年代では想像すらできない事態である。本書が対象とするのは、イラン革命前の時期であるが、当時の史料には政治的イスラームの影すら窺えない。中東の主権国家体制の将来に対し、本書から学ぶべきものは多い。

■評者紹介
①氏名(ふりがな)……長沢栄治(ながさわ・えいじ)
②所属・職名……東京大学東洋文化研究所・教授
③生年と出身地……1953年、山梨県
④専門分野・地域……社会経済史・エジプト/アラブ世界
⑤学歴……東京大学経済学部
⑥職歴……特殊法人アジア経済研究所研究員(1976年)、東京大学東洋文化研究所助教授(1995年)、同研究所教授(1998年)、同研究所附属東洋学研究情報センター主任・副センター長(2002~2005年、2013~2016年)、同研究所副所長(2008~2009年、2013~2014年)
⑦現地滞在経験……エジプト(アジア経済研究所海外派遣員1981~1983年)、エジプト(日本学術振興会カイロ研究交流センター長1998~1999年)
⑧研究手法……個人史資料などのアラビア語文献資料を中心にした考察、知識人とのインタビュー、農村聞き取り調査など。
⑨所属学会……日本中東学会、日本オリエント学会、日本イスラム協会
⑩研究上の画期……1973年10月中東戦争と第一次石油危機。生活のために中東研究を職業として選ぶきっかけを作った。
⑪推薦図書……家島彦一(2006)『海域から見た歴史──インド洋と地中海を結ぶ交流史』名古屋大学出版会(本書評が対象とするペルシャ湾岸地域を含む広大な海域の世界史に取り組んだ日本の国際的研究の最先端を示す作品として)。

 

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