中国の青海省、黄南チベット族自治州、河南モンゴル族自治県の出身である現代作家、ツェラン・トンドゥプの中、短編を集めた小説集である。出身地から分るように、著者自身は民族区分としてはモンゴル族になるが、この地は周りをチベット族居住地帯に囲まれており、母語としてはチベット語アムド方言を用いてきた。本書もチベット語で書かれたものからの翻訳となっている。
解説によれば、本書に収められた作品群は、著者が1988年から2016年までに発表したものの中から選ばれている。その意味ではオリジナルの選集である。選ばれた作品(短編15編、中編2編)の内容とスタイルは実に多様である。読者は、冒頭から役人を強烈に皮肉った寓意的な作品(「地獄堕ち」)に刮目し、一種のSF的な設定のショート・ショート(「月の話」)に現代文明に対する批判を見出し、ハードボイルド活劇風の作品(「黒い疾風」)に胸を躍らせるであろう。このような多様なスタイルをとりながら、どの小説も全く構成上の破たんをみせず、それぞれが読者を引き込む力を持っていること自体、作者の文学的な力量が並々ならぬものであることを示している。
本書の小説群の背景となっているのは、現代中国で生きる、青海省(アムド)のチベット系住民のリアルな生活世界である。腐敗した役人、堕落した僧侶、封建的な意識に囚われ続けている男たち、「生態移民」「退牧還草」といった環境保護を名目とする政策の実施によって脅かされる遊牧の生活と、そこから生じる悲劇など、小説の取り扱っているテーマは暗くて重い。しかし、その一方で著者の文学の特徴である諧謔と黒いユーモアの感覚が、作品全体に不思議な明るさをもたらしている。そしてその明るさの根源には、社会の現実に半ば絶望しつつも人間を、その愚かさや醜さをも含めて肯定的に捉える作者の眼差しが存在するようだ。
おそらく本書が、「現代チベット語文学」という枠を超えた普遍的な価値をもつ理由は、この人間存在に対する肯定の感覚が存在するからであろう。本書が、単に現代チベット社会に興味をもつ一部の人々にだけではなく、全ての文学愛好者に推奨し得るものとなっているのはそのためである。
訳者達は、「チベット文学研究会」を結成し、これまでもチベット語による現代文学作品を紹介してきた。その訳業に依ることで私たちは、中国による支配下で、チベット語による現代文学を創設しようとしてきた作家たちの苦闘の跡をたどることができる。チベットの現代文学の中の重要な作家を見出し、その作品を日本語として全く不自然な所のない形で翻訳し、紹介してきた訳者達の慧眼と熱意、学識に満腔の敬意と感謝の意を表したい。
■執筆者紹介
①氏名(ふりがな)……棚瀬慈郎(たなせ・じろう)
②所属・職名……滋賀県立大学人間文化学部・教授
③生年と出身地……1959年、愛知県
④専門分野・地域……チベット地域研究、文化人類学
⑤学歴……京都大学文学部(社会学専攻)、京都大学大学院文学研究科(社会学専攻)、京都大学博士(人間・環境学)
⑥職歴……日本学術振興会特別研究員、滋賀県立大学講師・助教授・教授
⑦現地滞在経験……インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラ、ラホール・スピティ、ジャンムー・カシミール州のラダック、ザンスカールにチベット語の学習や文化人類学的フィールドワークのために長期滞在した。
⑧研究手法……「チベット」の社会や文化を理解するためには、チベット人をその生活の場面において知ることから始めねばならないと思った。そのため、フィールドワークすることは決定的に重要であった。
⑨学会……日本文化人類学会、日本チベット学会
⑩研究上の画期……中国人民共和国によるチベット支配の開始(1950年代後半)。個人的には、中国の青海民族大学とのつながりの中で、チベット人の留学生を指導するようになったこと。彼らを通じて、中国の支配下に置かれているチベット人社会の現状に目を向けるようになった。
⑪推薦図書……鶴見良行(1982)『バナナと日本人』岩波新書。