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JCAS Review

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地域に内在し世界を構想する

地域研究

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地域研究 JCAS Review Vol.18 No.1 2018  P. 33-36  公開日:2018年3月30日
2017年度JCAS年次集会シンポジウムの記録 

ディスカッション

司会では自由討論に移り、会場の聴衆の方々から御意見や御質問を受けたいと思います。

藤原(九州大学)井上先生に質問をさせていただきます。今日の「国家の挟み撃ち戦略」は大変参考になりました。その戦略を実践する時、色々なステークホルダーに関わることになります。その中で「黒子」をする際、独立性を保つための努力が必要になると思いました。「黒子」として科学者としての独立性をどう保たれていたのか教えていただきたいです。

 

井上真ご質問ありがとうございました。私が外国人でしたので、独立性については気にせずにできました。私がカリマンタンのインドネシア人だったら、やりにくかったという印象はあります。独立性については余り考えずに、現地から上がってきたデータに基づいて、現場レベルでどういう文言を条例に入れたら良いかを純粋に考えました。その時点で、独立性は保たれました。ですから私は苦労しませんでした。

 

高倉浩樹(東北大学)お二人の先生方の講演をおもしろく聞きました。
 おひとりずつに質問があります。安成先生の言われたフューチャー・アースでは、日本の重要な課題を取り上げられました。このフューチャー・アースの枠組みでは、日本の研究者がどういう形で関われる仕組みがあるでしょうか。研究をどのように相互に繋げる仕組みを考えておられるのでしょうか。
 2つ目は井上先生への質問です。今日の話ではフューチャー・アースは超学際ということで議論があり、災害についても議論されました。私の専門は地域研究、文化人類学ですが、その観点でロシアやシベリア、極北の調査をしています。
 東日本大震災の後に宮城県からの委託もあり、津波被災地の無形文化財の調査をして災害に対して色々取り組みました。その経験を踏まえると、井上先生が言われた地域研究者の役割は災害復興に当てはまります。それをうまく市民、企業、行政と協働する研究者は「御用学者」と表現されました。研究の仲間からは「高倉はまさに御用学者だ」と言われたことがあります。研究者として被災地の市民社会の中に入って関わるやり方があるかもしれないとも考え、色々悩みました。
 被災地に入る時に、調査者として入ることに倫理的抵抗がありました。逆に行政の委託があると入りやすくなります。戦略としては「御用学者」で良いという感覚があります。「政府の役に立ちましょう」という話ではありません。究極的にはレジデント型の人類学の研究ができたら良いと思います。そこをうまくまとめてもらえて、すっきりしました。災害研究と環境研究は、ある意味で繋がっています。その点を改めて理解できる発表でした。

 

安成哲三今日は井上先生のお話を非常に納得しながら聞かせてもらいました。これまでの問題を整理してくださって良かったと思います。それから、石井氏のコメントもありました。
 例えば「co-design」 「co-production」は良いのです。超学際の方法論を考えなければいけない。ステークホルダーの人と一緒に、どこかの地域の問題を考えると、リードして問題提起するのは研究者です。地域の問題の話になった時、地域の方々は「それは先生方が考えることでしょう」と言われます。問題が研究者に投げられる。地域とグローバルを繋ぐことを含めてですが。
 井上氏の「国家の挟み撃ち戦略」にある、地方の行政や自治体が重要だと思います。日本の公害問題の研究でもそうでした。ボトムアップで自治体が変わっていった。水俣や四日市等の公害の解決に繋がったのは、自治体が動いて国家の法律を変え、環境省が公害問題の解決へと動いたからです。
 自治体の方々をフォローするのは大事だと思います。私達も自治体の方々と組んで色々な形で地域連携をやっています。総合地球環境学研究所は自治体とMOUを交わして、色々なプロジェクトで地域の問題を一緒に考える。最近このやり方は重要だと考えています。
 研究者の人がフューチャー・アースをどのようにフォローするか、という質問です。国際フューチャー・アースが始まった頃から、日本の学術会議のフューチャー・アースの委員会ができるまで足掛け5年かかりました。しかし研究者のコミュニティが広がりません。学術会議が公募する大型研究計画プロジェクトがあります。私達がプロジェクト案を出してもフューチャー・アースのテーマでは採択されるのが難しい。「学際研究」までは良いのですが、「超学際研究」となると社会の問題を解決することになり、学術コミュニティに閉じた研究ではないことをどう評価するかが問題になります。
 我々は大学や研究機関にいて広い意味にせよ研究をやりたい。そこには必ず論文を書く行為を伴います。そして研究費が欲しい。研究者は研究費がないと研究できません。フィールドに行くにもお金が要ります。
 フューチャー・アースにコミットしたら研究費が付くかといえば、フューチャー・アースは「学際」から「超学際」を銘打っていますので、なかなかすんなりとは研究費がつきません。これが大きな問題です。幸い総合地球環境学研究所の研究費の大部分は文部科学省から来ています。そのプロジェクトで「学際」から「超学際」に取り組もうと動いています。その中で佐藤哲氏が「超学際」に取り組みました。
 科学研究費で「超学際」と出しても、審査員にステークホルダーはいないので落ちます。必ず、この研究をして良い研究成果(論文!)が書けるかと疑問が投げかけられます。だから超学際科学を評価する方法が重要になります。「超学際研究」を実践するには評価システムを変える必要があります。これは大きな問題で、学問そのものを変えなければならない。学問自体を「超学際科学」を可能にする価値観に変えて行く必要があります。
 その意味で大学の役割は大きい。東北大学のような大きな大学から、インパクトファクターの高いジャーナルに論文を何本出したかという視点だけでなく、社会と連携して「超学際的研究」で問題の解決に向けた成果をポジティブに評価を出すことを考え始める必要があると思います。アカデミアとステークホルダーが一緒になり「超学際研究」を評価する仕組みを考える必要があるのです。
 国際的に自由に意見交換できるフューチャー・アース・オープンネットワークがあります。誰でも世界中のフューチャー・アースに関係ある人に意見を聞いたり、意見を交換できるネットワークです。
 若いドクターの学生やポスドク研究員が時々投稿してきます。夏に私が見ておもしろかったのですが、外国のポスドク研究員の方が「私はフューチャー・アースに関心があり、コミットしたいと思います。でも、これをやって自分は研究機関に就職できるでしょうか?」と。外国でも同じですね。フューチャー・アースに今ジャーナルもありますが、それだけでは十分ではありません。
 フューチャー・アースの元々の出発点は、地球環境変化の研究を統合して進め、解決する方向に持っていくところから来ました。その流れは問題解決を掲げる地域研究の調査の流れとは異なります。しかし、フューチャー・アースが地域研究に近づき、グローバルな環境問題や地域の問題を解決するところまで来ています。
 研究者コミュニティの世界が「超学際研究」を評価する仕組みを作らないと、フューチャー・アースに市民権はありません。この努力は相当要ります。幸い、京都大学の山極壽一総長が学術会議の会長になり、フューチャー・アース日本委員会委員長の武内和彦氏が副会長に就きました。学術会議で国際的に問題解決に向けた活動をすることが研究者として重要になります。
 自然科学は「Science for Science」の世界です。若い人は何が問題になっているか、必ず科学者のコミュニティである、専門のジャーナルで問題を探す。けれども、今何が地域レベルで問題なのかを考える時、メディアやジャーナルの発信自体が変わらないといけないと思います。論文を書くことのみに集中すると「超学際」に積極的に関われない。
 私も偶然どこかのフォーラムで福島の原発被災地の人と話をしました。地震や原子力の関連で色々な研究者が日本中から来て調査をしてくれるのは良いが、顔を見て話して「この人は論文を書きにきた」と思うと、その人とは組まないと話していました。地域の人達にはわかるのです。
 公害の問題でも、この研究者は自分達のことを考えてくれるか否か、現地の人はすぐ理解したでしょう。ただし、そういう方々は研究者コミュニティの視点で論文が書けたかというと、書けなかった。だから宇井純氏も東大では助手で辞められた。
 元滋賀県の知事の嘉田由紀子氏をよく知っています。彼女は環境社会学で問題解決に取り組みました。嘉田氏は元々、琵琶湖の環境問題を解決しようとしていましたが、解決の早道は自分が行政に関わることだと考え、研究者を辞めて滋賀県知事に立候補し行政に入りました。それも1つのやり方です。
 研究のアウトプットを出して回っていく時に、フューチャー・アースも一種の役割を果たすと思います。そういうコミュニティができ、広がるのが重要です。私もフューチャー・アースの話をしてくれと言われると、どこにでも行きます。研究者の持っている考え方や価値観を少しずつ変えていきたいのです。
 自治体の方々と話をしていると、なぜ総合地球環境学研究所の人が自治体の問題に取り組むのですかと尋ねます。理由を話すと「そういうことですか」と分かってもらえる。地域の問題でも地域だけでは解けない問題がたくさんある。日本の過疎の問題でも地域だけでは解決できない。日本の地域には問題が集積している。
 先日、焼畑で有名な宮崎県の椎葉村に行きました。非常に良いところで、皆さん持続可能な焼き畑を続けておられる。けれども椎葉の若い人は、村を出て行ったら帰ってこない。何とか若者が帰って来る仕組みにしていけないか。この辺で村役場の方々も「何か知恵はありませんか?」という話になります。我々も解決しようと一緒に考えます。自治体の方々から話を伺うと、彼らは一生懸命やっていることがわかります。しかし自治体のことだけを考えているので、色々な情報やネットワークがない。その辺は研究者の助言や、研究者が果たす役割はあります。
 私は総合地球環境学研究所の所長ですが、毎年概算要求で予算を確保しないと「超学際研究」ができません。私達が「超学際」の研究を全面的に出すと、文部科学省傘下の科学技術学術審議会作業部会では「先生たちは何をやっているのですか。全然論文が出ていません」という話になります。そうなると困る。この矛盾をどうするか、非常に悩んでいます。やはり、研究所としては、専門分野をベースにした学際研究で「研究」としての成果も上げつつ、社会にも貢献するという両輪でやっていかねばならないと考えています。

井上質問者の高倉さんを勇気づける発言をしたいと思います。震災の後に復興研究に取り組まれたことは、批判されるものではありません。私も政府の委員や地方自治体の委員を務めた経験があります。それぞれの研究者が色々な面や顔を持っています。私はJICAに協力する一方、JICAを批判するNGOにも協力しました。独立性を持っていれば、様々な顔で色々なチャンネルから発言や研究をしていけます。
 東大の東洋文化研究所の菅豊氏が『「新しい野の学問」の時代へ』1)で、おもしろいことを書いていました。「地震があった後、一時期、多くの研究者が入ったが、お金がなくなると皆いなくなった」。そうでなければ良いと思います。

 

司会どうもありがとうございました。

 



1)菅豊(2013)『「新しい野の学問」の時代へ──知識生産と社会実践をつなぐために』岩波書店。

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