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地域に内在し世界を構想する

地域研究

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JCAS Review

地域研究 JCAS Review Vol.17 No.1 2017  P. 12-22 公開日:2017年3月30日
特集 地域研究コンソーシアムからの発信を振り返る──12年の軌跡

学術雑誌としての『地域研究』
──特集企画を中心に

山本 博之

​京都大学東南アジア地域研究研究所 准教授

YAMAMOTO Hiroyuki

 学術雑誌『地域研究』は、第12巻第2号(2012年3月)で「地域研究方法論」の特集を組んだ。「方法論」という字面だけ見れば、数ある地域研究を篩にかけて「正しい」地域研究の方法を示そうとする権威主義的な内容だと間違って受け止めた人もいたかもしれない。しかし実際に内容を読んでいただければわかるように、特集企画を組んだ意図はその逆だった。
 「地域研究方法論」では地域研究(者)を3つの層で捉えた。その意図は、地域研究に関わる人が多様であることを踏まえて、特定の層が別の層よりも「より地域研究的」であるとする見方を排し、ある人が自分は地域研究に関わると思う限り、さらには自分でそのように思っていなくても他人からそう見られる限り、研究手法や研究対象との関わり方やアイデンティティにかかわらず地域研究者なのであるということである。念のために注記しておくと、地域研究者であることと他の学問分野の専門家であることは両立しうる関係にある。
図1 地域研究の3つの層
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「地域研究の3つの層」が示すように、地域研究への関わり方は多様である。ただし、「地域研究方法論」の特集企画では、企画者だった筆者の個人的な経験が反映されたこともあって、特に博士論文執筆中の大学院生を念頭に置いていた。筆者は地域研究を「学術的研究であるとともに、魂を救済する営みでもある」と書いた。救われる魂とは、研究対象の魂かもしれないし、研究成果を受ける人たちの魂かもしれないし、研究者自身の魂かもしれない。そして、なぜ地域研究を行うと悩んでしまうのかという問いを挙げて、次のように書いた。
 地域研究はいろいろな場所でいろいろな方法で行うことができる学問分野だし、人生経験が豊かになれば研究に深みが出てくる学問分野なので、何歳から始めても決して遅すぎることはない。研究人生以外に気になることがあるようだったら、教育や研究のホットな現場からいったん離れて、別の形でしばらく経験値を増やしてみることが、結局は自分だからこそできる地域研究を行う上での近道なのかもしれない。
 
 
 
 このように、「地域研究方法論」の内容は、地域研究の業績につながる即効性のある知見というより、いわば「地域研究の心構え」である。地域研究の方法論に含まれうる課題でありながらも特集企画で十分に扱えなかったものもある。十分に扱えなかった課題のいくつかは、その後、地域研究コンソーシアム(JCAS)の活動に引き継がれた。例えば、地域研究者も生身の身体を持って社会生活を営む存在であることを意識して社会生活と研究を両立させるという課題は、JCASコラボレーション・シリーズを通じて継続して検討された*1
 地域研究方法論に関わる課題のうち十分に扱われなかったものに、地域研究における成果発表とその評価がある。データを収集・整理して考察しているときは楽しくても、その成果をまとめて論文執筆や学会発表をしようとすると、しばしば研究の位置づけで悩むことになる。投稿先のジャーナルや研究発表する学会からは必ずしも積極的な反応が返ってくるとは限らず、無力感に苛まれたり悔し涙を流したりすることも珍しくない。
 その背景の1つに、多様な地域研究の成果を幅広く受け入れられるジャーナルや学会がほとんどないことが挙げられる。特定地域に関する地域研究学会はあっても、地域研究の成果を地名抜きの地域研究として発表する場は限られている。その結果として、地域研究の成果をどのように評価すればよいのかが地域研究に関わる人々の間で十分に共有されないままになっている。学術雑誌『地域研究』は、地域研究の成果の発表の場を提供するとともに、それを通じて地域研究の成果の評価について考える意義を託された媒体という側面も持っている。
 査読を含めた地域研究の成果の評価については改めて検討する機会を設けることにして、本稿は、「地域研究方法論」で残された課題を引き継ぐことも意識しつつ、学術雑誌『地域研究』がこれまで誌面作りにどのように臨んできたのかを、いくつかの特集企画に関わった編集委員の立場から紹介する。変わりつつある世界の捉え方をどのように工夫してきたかを振り返り、それを通じて、対象・地域・方法のそれぞれの多様性を積極的に捉えつつ現代世界の課題に学術研究の立場から取り組もうとするアプローチとしての地域研究の意義と可能性を考えてみたい。
 以下では、まず、筆者が編集に関わっていた時期の『地域研究』の編集委員会について紹介する。ある程度まとまった範囲の事例を対象に構想された企画案が議論を通じて対象範囲を拡大していき、その過程で特集企画の意義が語り直される様子を紹介したい。続いて、筆者が中心的に関わった特集企画をいくつか挙げ、企画の背景および方法上の工夫について紹介する。当時の様子に沿って紹介するため、各特集企画のリード論文を加筆修正せずにやや長めに再掲している。最後に、本誌『地域研究』が今号より紙媒体の冊子からオンラインジャーナルへと刊行形態を変え
*2、それによってこれまで以上に幅広く多様な読者のもとに記事が届くことが期待されるこの機会に、本誌が学術雑誌であることの積極的な意義を考えてみたい。
1.より大きな世界に位置付ける
 『地域研究』は、1997年創刊の『地域研究論集』をその前身として、JCASに置かれた編集委員会のもとで編集・刊行される学術雑誌である。2010年度からは、特集企画案を一般公募し、仮採択された特集企画案の担当者を含む編集委員会で企画内容を検討する編集方針をとり、第11巻第2号からこの編集体制によって刊行された*3
 編集委員会では、臼杵陽編集委員長のもと、論文3本程度の小特集として応募された特集企画案であっても、その特集企画案の世界的な意義は何かが議論された。多くの場合、企画担当者は小特集が直接の対象とする範囲における意義を説明するが、編集委員会ではそれを今日の世界に照らしてどのような意義を持ちうるかについて意見が戦わされた。
 そこではときに厳しい意見が投げかけられた。いつの時代のどの地域でも成り立つ話をある時期のある場所のある事例で語っているだけではないのか。現在この地域を事例として語ることの積極的な意味または切実な理由はどこにあるのか。本論文で取り上げていることを明らかにすることで、研究対象とする地域社会の人々が抱えるどのような課題に解決の可能性を示しうるのか。それは他地域または別の時代に暮らす人々が抱えている(または抱えうる)課題にどのような解決の可能性を示しうるのか。
 企画担当者は企画内容を説明するリード論文を何度も書き直して編集委員会に提出し、このようにして小特集として応募された企画を大特集に育てていく議論が重ねられ、刊行されたときには最初の特集企画案から大きく形が変わることも少なくなかった。
 この時期に編集委員会に参加した筆者は、「災害と地域研究」(第11巻第2号、2011年3月)、「中東から変わる世界」(第12巻第1号、2012年3月)、「地域研究方法論」(第12巻第2号、2012年3月)、「混成アジア映画の海──時代と世界を映す鏡」(第13巻第2号、2013年3月)の4つの特集企画に関わった。これらの特集企画は、「地域研究方法論」のように筆者の企画が発展したものもあれば、「中東から変わる世界」のようにJCASの緊急研究集会から発展したもの、そして「災害と地域研究」のように複数の小特集がまとめられて大特集になったものがある。成り立ちはさまざまだが、いずれも編集委員会の議論を経て特集企画が育っていったものである。編集委員会で投げかけられた問題の全てに十分に応えられたとは限らないが、議論の過程で、刊行母体となるJCASに関わる地域研究者たちが考える地域研究のあり方を間接的ながら反映するものになっていった。
2.変わりゆく世界に対応する
 2010年12月の暴動で始まったチュニジアの「ジャスミン革命」がアラブ世界に波及して各国で反政府デモや抗議運動が起こり、後に「アラブの春」と呼ばれるようになる一連のできごとは、中東政治に始まる世界の流動化を強く印象づけた。2011年2月にエジプトでムバーラク政権が崩壊した頃、JCASの緊急研究集会「中東から変わる世界」が企画された。この研究集会が京都で開催されたのは、東日本大震災の余震が続く4月、米英仏を中心とする多国籍軍がリビアへの空爆に踏み切った約1ヵ月後のことだった。その後、リビアで8月に反体制派が首都を制圧してカッザーフィー政権の崩壊が宣言されたことに見られるように、研究集会の時点で事態は流動的だった。
 この研究集会の特徴の1つは、中東イスラム地域で生じている事態の意味を理解するため、中東イスラム地域以外を専門とする地域研究者および外交の実務家もパネリストに招いたことである。地域研究に携わる90以上の機関が加盟するJCASのネットワークを通じて、世界で進行中の出来事に対して、地域研究者が所属機関や対象地域の壁を越えて集まり、さらに外交などの実務者とも連携して、特定地域で進行中のできごとを世界の他の地域との連関において、そして世界の歴史の流れの中で捉えようとした試みである。
 この研究集会を踏まえて『地域研究』の特集企画「中東から変わる世界」が編まれた。個別の議論については各所収論文を参照していただくとして、ここでは進行中の事態に対して学術研究の一分野である地域研究がどのように関わりうるのかという問いに関連して、特集企画のリード論文の一部を再掲する。
 
 
「いま、ここ」で展開している事態に対して、学術研究は何をいうことができるのか。いままさに目の前で展開している事態については、多くの場合、断片的な情報しか手に入らない。そのような状態では、安易に何らかの判断を下さないというのが学術研究のとるべき立場だろう。一時の感情に流されず、目の前で生じている出来事から時代や地域の違いを超えても成り立つ部分と「今回限り」の部分とを慎重に切り分け、それをもとに長期的な対策を考えるのが多くの学術研究の立場であるはずだ。
 その一方で、厳密なデータをもとに時間をかけて慎重に原理を導き出しても、それだけでは目の前で展開している事態には直接の役に立たないという考え方もある。別の言い方をすれば、断片的な情報しか得られなくても可能な範囲で何らかの判断を下せるのが学術研究の専門性であり責任であるという考え方である。もしこれを軽い気持ちで行うならば、先人たちが厳密な方法で積み重ねてきた学術研究への信頼を失いかねない。しかし、いままさに目の前で起こっていることに対して「データが足りないので何もいえない」というだけでは、学術研究もまた社会の構成要素であることへの自覚に欠けるといわざるをえない。
 地域研究は、限られたデータをもとに、限られた時間のうちに、目の前で起こっている事態に対して何らかの判断をすることを引き受ける学術的な態度であるといえる。それを当てずっぽうや勘頼みにしないため、地域研究者は、語学はもちろんのこと、歴史・地理や哲学などを含む基礎研究を日頃から十分に行い、また、フィールド調査や共同研究などを通じて自らが馴染み親しんでいるのではない地域社会のかたちの捉え方を磨き、限られたデータをもとに限られた時間のうちに判断しても大きく間違わないような訓練を積んでいる。
 
 世界が変わりつつある状況を捉えるにあたり、焦点が当たっている地域だけでなく他の地域との連関で見ること、そして現在のできごとだけでなく歴史の流れに置いて見ることは、「中ロの台頭と欧米覇権の将来」(16巻2号、2016年3月)や「ロシアとヨーロッパの狭間――ウクライナ問題と地域史から考える」(16巻1号、2015年11月)など、『地域研究』の他の特集企画にも見ることができる。
3.越境する課題と当事者
 紛争や災害などのいままさに目の前で起こっている事態に対して、限られたデータをもとに暫定的ながらも何らかの結論を出すことを重ね、それを外交・報道・人道支援などの実務者と共同で検討し続けることには、目の前で起こっている事態に対する解決の道を探る意義とともに、想定外の事態に対応しようとする学術研究としての地域研究の方法を磨くという意義もある。
 「想定外」という言葉は、2011年3月の東日本大震災・津波災害およびそれに伴う福島原発事故の際に多く使われた。『地域研究』でも第11巻第2号(2011年3月)で「災害と地域研究」を特集している。ただし、刊行日が示すように、この特集が企画されたのは東日本大震災の発生前で、主に対象としているのは2004年に生じたスマトラ島沖地震・津波(インド洋津波)だった。西芳実と市野澤潤平がそれぞれスマトラ島沖地震・津波に関連する小特集の企画を応募したことから、それらを2つの小特集とし、さらに2人の企画者を含む座談会を組んで全体で総特集とした。
 2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震およびそれに伴って生じた津波災害では、インド洋沿岸の20以上の国で約22万人の犠牲者を出した。震源に最も近く、国別に見たときに最も大きな被害を出したインドネシアでは、アチェ州と北スマトラ州ニアス島を中心に約17万3000人の死者・行方不明者を出した。
 クリスマスと年末の時期に生じ、休暇のために訪れていた日本人や欧米人の犠牲者も少なくなかったこと、そして携帯電話やデジタルカメラなどで津波の様子が撮影され、インターネット等を通じて配信されたことから、この災害は国際的な関心を集め、国内外から被災地入りして支援活動を行う団体・個人も多数に及んだ。このことは、人文社会系を中心とする地域研究者に対しても、研究対象地域が災害などの大きな災いに直面した場合に何をすべきなのか、何ができるのかという問いを突き付けた。具体的な対応は人によって異なるが、その対応過程で改めて問われたのは、地域研究者は研究対象地域にとって外部者であり、その地域で生じていることがらにとっての当事者ではなく、したがって研究対象地域で生じている事態にコミットする資格を持たないのではないかとする議論である。これに対して、スマトラ島沖地震・津波の経験から明らかになったことは、災害やその影響は国境を越えて及び、したがって越境する災いへの対応も国境を越えた連携が必要であり、当事者の意味を捉え直す必要があるということである。これに関連して「災害と地域研究」のリード論文の一部を再掲する。
 私たちはこれまで、国家を基礎とする世界のなかで暮らしてきた。人は原則としていずれかの国家の国民として登録され、その国家による保護の下で暮らしてきた。しかし、国家によっては国内の住民を保護する意思がなかったり、意思はあっても力が伴わなかったりするものがあることがわかってきたし、国境を越えて移動する人々はどの国家が保護する責任を負うべきなのかという問題も生じてきた。海外で事故や事件に巻き込まれた人に対して、「自己責任」であるとして国家が保護しない例も出てきている。これらのことから、従来のように国家任せにしていては解決できない問題が多くあることが多くの人の目に明らかになってきた。
 かつては歴史的に積み重ねられた慣例に基づいてものごとが決められていたが、人々が自由に行き来することで国家や地域共同体やその他の所属先などの「場」が流動的になると、外部から新しくメンバーに加わった人たちが現れるし、内部にも価値観の多様化が生じるため、慣例が十分に機能しなくなる。これへの対応方法のひとつは、その「場」に早くからいた人々が誰であるかを確認して、その慣例に従わない人々を「外来者」あるいは「新参者」として排斥し、これによって共同体の慣例を維持することだろう。しかし、「場」の流動性が高くなると、もはや誰がその「場」の慣習を維持していて誰が違う慣習を持ち込んでいるのかを区別することが意味を持たなくなり、「外来者・新参者の排斥」と「伝統・慣習の強化」では対応できなくなる。
 このような状況では、伝統的な共同体の枠組に依存できない状態で社会秩序をどのように構築するかが重要な課題となる。どの「場」で誰がどのようにものごとを決定するか、そしてその決定にどの範囲の人々が従うべきで、従わない人々にはどのように対応するかが問われるようになってきた。この課題はさまざまなレベルの「場」で問題となっているが、これが目に見えやすいかたちで表れるのが災害対応の現場である。
 
4.「グローバル」に向き合う
 変わりつつある世界をどのように捉えるかという課題に関連して、『地域研究』の特集企画には、「グローバルという方法」、「知の制度の再編」、「多層化する地域設定」などの試みが見られる。
 「グローバルという方法」とは、グローバル化が進む今日の世界において、国の違いを越えて共通する価値を掲げることで国境を越えた連帯を作っていくことと関わっている。「ASEAN諸国における健康と環境──草の根からの共同体実現にむけて」(13巻1号、2013年3月)は、国家の枠を超えて影響が及びうる健康と環境を対象に、国家の枠を超えて調査研究を行うにはどのような指標がありうるかを探す試みである。「グローバル・アジアにみる市民社会と国家の間──危機とその克服」(15巻1号、2015年4月)は、グローバルな問題に対応する方法として広域アジアにおける市民の連帯に可能性を求め、「グローバル・スタディーズ」(14巻1号、2014年3月)からは、さらにグローバルな問題に対応する担い手を日本で育成することの重要性への思いがうかがえる。
 「知の制度の再編」とは、旧社会主義圏の中での「グローバル」な価値が現在どのようになっているのかという関心に基づく。「社会主義における政治と学知──普遍的イデオロギーと社会主義体制の地域化」(10巻2号、2010年3月)は、東側諸国(旧社会主義圏)で起こった知の組み換えの動きを捉えようとしている。また、「紅い戦争の記憶──旧ソ連・中国・ベトナムを比較する」(14巻2号、2014年3月)は、社会主義体制をとっていた国々および社会主義体制下で改革開放政策を進めている国々について、革命史がどのように読み替えられ、書き換えられているかを主題としている。「ヨーロッパ統合と国民国家の歴史認識」(12巻1号、2012年3月)は、ヨーロッパ周縁部における国民史の捉え直しが主題であり、そこではロシアへの対応が重要な要素の1つになっている。
 「多層化する地域設定」は、グローバル化が進んで人の国際移動が増大しても、人間の移動の管理が局所的な場所で行われることには大きな変化はなく、そこでは依然として国民国家が大きな関わりを求める状況を反映している。「『三つの祖国』に生きる越境者」(14巻2号、2014年3月)は、国境を越えた人の移動が頻繁かつ大量に行われるようになった今日の世界で越境をめぐって生じる問題を、複数の帰属を1つにしようとすることから来るせめぎあいと捉える。刊行時期は少し遡るが、「リージョナリズムの現在――国民国家の内と外で」(8巻1号、2008年3月)では、今日の世界で国民国家が人々の生活を守り発展させるためのほぼ唯一の枠組みとなっていることが与える息苦しさを、国家を超えた地域統合(大きなリージョン)と国内の地域(小さなリージョン)の2つの層に意味を持たせることで解消する試みが検討されている。そこでは、地域統合-国家-国内地域と同心円的に複数の地域を設定するだけでは結局のところ一元的な領域統治がもたらす息苦しさから逃れることができないことにも触れられている。「パスポートをめぐる力学――国籍・市民権・移動」(6巻2号、2004年11月)は、国民国家による国境管理・住民管理の象徴であるパスポートに目を向け、パスポートを所有することで領域を超えていくことができるという可能性にも目を向けている。
5.対象に即した意味を読み解く
 変わりゆく世界各地のことがらを捉えるため、どのように情報を収集して整理すればよいか、そして収集・整理した情報をもとに対象に即した意味(文脈)をどのように捉えればよいのか。
 地域研究における情報収集の方法およびそこから意味を読み解く訓練と関連して、「混成アジア映画の海」では、アジア映画を対象に、日本を含む33の国・地域について、地域研究者が映画について語った記事を集めている。それぞれの記事の内容は、映画産業、制作者、映画の内容など多様であり、十分に統一が取れていないと見ることもできるが、それは世界各地で映画の制作・流通・保全の状況が大きく異なっている現状を間接的に反映した結果でもある。
 映画本来の楽しみ方とはややずれるかもしれないが、地域研究にとって映画とは、世界の諸地域についての情報を集めてそれを読み解く訓練に適している。フィールド調査は地域研究にとって重要だが、事前講習で地域社会に入る上での人間関係の作り方などへの心構えや記録の仕方などの技術を教えることはできても、見聞きしたものから意味を引き出す方法を伝えるのは容易ではない。現場に一緒に入って見聞きするものを1つ1つ挙げて説明するのが結局は近道なのだろうが、現実世界のものごとは常に動いているため、見逃したり聞き逃したりすると再現してそれを見聞きすることができない。さらに、現場で目に見えるものや耳に聞こえるもののうちどれに焦点を当てればよいのかを掴むまでにかなりの訓練を必要とする。映画は、とりわけ巻き戻しや一時停止などが使えれば、繰り返し見たり一時停止して見たりすることができるため、現場で見聞きするものの意味を捉え、その解釈を教授するには絶好の素材となる。地域研究と映画の関係に関して、特集企画のリード論文の一部を再掲する。
 
 映画は、私たちが日常的に見聞きできないことや、見聞きしても見過ごしてしまうことがらについて、ときにストレートに、ときに間接的に、映像によって示すため、世界各地で起こっているまだ知られていないことがらを知る上で役立つメディアである。ただし、世界の珍しいものごとを知る情報源に留めるのではなく、世界の新しい諸課題を意識しながら、地域研究の観点から映画を読み解くことを通じて、人々がそれらの諸課題にどのように対応しようとしているのかを考える道が開ける。
 映画の愉しみの一つは、世界のさまざまな土地の様子やさまざまな時代の出来事を疑似体験できることにある。生涯訪れる機会がないであろう外国の土地や、過去に起こったために実際に目撃できない出来事について、映画は、まるで自分がその場にいるかのように目の前に情景を再現してくれる。世界各地の地域社会のありようをその土地に根ざして理解し、それぞれの「地域のかたち」を他の人々にわかるように伝えようとする地域研究にとって、映画は極めて有効な情報源の一つとなりうる。また、実際に訪れたことがない土地や会ったことがない人々についてわかりやすく伝えるという点では、映画はよい意味で地域研究とライバル関係にあると言える。
 映画史研究と地域研究の共同作業の必要を唱える四方田犬彦は、映画が現実と虚構の二つの側面を併せ持つ点に際立った特徴があるとする。映画は観客の目の前で現実として存在する。ただし、スクリーンに映っているものごとは過去に他の場所で撮影されたものであり、観客にとっての「いま、ここ」においては現実ではない。映画史研究者である四方田は映画の現実の側面を重視し、映画の内容をもとに社会について論じようとする態度を映画史的探求とは異なるものとして一線を画す(四方田 1998: 34-35)。
 これに対し、地域研究のように映画そのものではなく社会に関心を向けた場合には、映画は社会を理解するための素材として扱われることになる。もちろん、映像がどれだけリアルであっても、映画が現実世界をそのまま映していると見ることはできない。地域の専門家である地域研究者が映画を素材とする場合には、映画を通じて地域社会を知ろうとするのではなく、映画と地域社会をそれぞれ理解した上で、両者を比べることで作品と地域社会についての理解を深める方法をとることになる。このように考えれば、スクリーンに映っていることが事実であるかないかという問いに囚われることなく、映画を社会を論じるための素材とすることができるはずである。
 ただし、映画を素材として地域社会や世界のことを知るには、それに適した方法や工夫が必要となる。それは、映画を地域研究の素材として利用するための工夫や方法であるだけでなく、地域研究の観点から映画を愉しむ工夫や方法でもある。
 
むすび──学術雑誌としての『地域研究』
 地域研究とは「地域を研究する」なのか「地域で研究する」なのかという問いが時おり発せられることがある。この問いは地域研究のあり方の多様性を反映しており、どちらを強調するかは立場によって異なるとしてもどちらの面も大切であるが、筆者はこの問いに「地域から研究する」という選択肢も入れた方がよいのではないかと考えている。直接の研究対象は限定された地域だが、特定の地域について詳細に調査分析することを通じて世界全体の課題についても考えを巡らせるということである。この考え方は、『地域研究』が掲げる「『地域に内在し世界を構想する』という理念のもとに、現代世界の諸課題に地域の視点から切り込み、地域から世界を、世界から地域を見つめ、そして読み解く和文学術誌」にもよく表れている。
 しかし、「地域に内在し世界を構想する」を個別の論文で実現するのは容易ではない。「地域を研究する」と「地域で研究する」にも表れているように、地域研究の特徴は地域(現場)との関わり方にある。フィールド調査か文献調査か他の方法であるかを問わず、地域研究の大きな魅力は対象に肉薄する迫力にある。地域研究の論文が特定地域の個別の事例について狭く深く掘り下げたものになることは避けられない。個別の事例を掘り下げた個別論文とそれらの意義を論じたリード論文を組み合わせて特集企画にすることは、地域研究が陥りがちな問題を回避する工夫だったと言える。
 個別論文とリード論文の組み合わせという形式が定着し、さらに『地域研究』がオンラインジャーナルになることで、この形式をさらに一歩推し進めて、個別論文とリード論文の組み合わせを個別の巻号ごとではなく複数の巻号にわたって行うことを考えることもできるだろう。それにより、世界で「いま」起こっている出来事を専門的知識を踏まえて捉え、それを素早く発表するとともに、その出来事の世界的な意義を改めて検討するという「分業」も可能になる。
 このことはさらに、特定事例を掘り下げる個別論文を掲載するだけでなく、それらの個別論文を集めて分析することで研究動向や世界の動きを捉えようとする研究を掲載するなど、地域研究に関わるさまざまな形の研究成果を掲載することも可能になる。
 『地域研究』編集委員会では、『地域研究』を学術雑誌と呼ぶことをやめてはどうかという意見が出されたことがある。「学術雑誌」に含まれる「雑」の字が、粗雑で学問的に洗練されていないという印象を与えかねないという理由からである。しかし、地域研究として括ることができる多種多様な研究成果を、あえて雑多なまま集めて並べ、互いに見渡せるようにして議論の場を開くことは、地域研究の研究成果を発表する場を提供するだけでなく、地域研究における評価について考える場も提供することになると思われる。オンラインジャーナルという媒体はそのためにより適しているかもしれない。オンラインジャーナルとなる『地域研究』が、地域研究に関心を持つさまざまな人々に支えられて、学術雑誌としてますます発展していくことを願ってやまない。
 

*1   *1『キャリア・パスとしての社会貢献?──若手地域研究者の現状と社会連携の可能性』(JCAS Collaboration Series No.2)、『地域研究とキャリア・パス──地域研究者の社会連携を目指して』(JCAS  Collaboration Series No.5)など。
*2   2017年1月に京都大学地域研究統合情報センター(京大地域研)が京都大学東南アジア研究所と統合して京都大学東南アジア地域研究研究所(京大東南地域研)になると、『地域研究』はJCASのもとにおかれた編集委員会が編集しJCASが刊行するオンラインジャーナルになった。

*3   2010年度までの刊行主体と編集体制の移り変わりは以下の通り。国立民族学博物館地域研究企画交流センター(民博地域研)によって創刊された『地域研究論集』は、JCASが設立された2004年(第6巻第1号)より判型がB5判からA5判に変更されるとともに、誌名が『地域研究論集』から『地域研究』に変更された。刊行主体は民博地域研のまま、編集体制は民博地域研内の編集委員会からJCAS内の『地域研究』編集委員会に移された。2006年にJCAS事務局が民博地域研から京大地域研に移ると、刊行主体は京大地域研、編集はJCAS内の『地域研究』編集委員会という体制になった。
引用文献
四方田犬彦(1998)『映画史への招待』岩波書店。
 

■著者紹介
①氏名(ふりがな)……山本博之(やまもと・ひろゆき)
②所属・職名……京都大学東南アジア地域研究研究所准教授
③生年と出身地……1966年、千葉県
④専門分野・地域……マレーシア地域研究、災害対応と情報
⑤学歴……東京大学教養学部、東京大学大学院総合文化研究科・修士課程(地域文化研究専攻)、東京大学大学院総合文化研究科・博士課程(地域文化研究専攻)

⑥職歴……マレーシア・サバ大学講師(31歳、任期2年)、東京大学教養学部助手(34歳、任期2年)、在メダン総領事館委嘱調査員(36歳、任期1年)、国立民族学博物館地域研究企画交流センター助教授(38歳、1年半)、京都大学地域研究統合情報センター准教授(39歳、10年)
⑦現地滞在経験……マレーシア(交換留学生、17歳、1年間)、中国(語学留学、20歳、1年間)、マレーシア(研究所客員研究員・大学講師、29歳、6年間)、インドネシア(総領事館委嘱調査員、36歳、1年間)、フィリピン(大学客員研究員、49歳、1年間)
⑧研究手法……現地感覚を養うには現地経験が不可欠だが、定まった現地調査の方法を採っているわけではない。条件が許せば、調査者としてではなく社会の一員として現地に滞在し、生活することが望ましい。逃げ道がない状態に自分を置くことで、その社会の形が見えてくる。

⑨学会……日本マレーシア学会、東南アジア学会、アジア政経学会
⑩研究上の画期……マイクロフィルムがPDFファイルになり、自室のパソコンで検索可能になったこと。研究資料の収集・蓄積と整理・共有の方法が大きく変わった。
⑪推薦図書……ベネディクト・アンダーソン(2007)『定本 想像の共同体──ナショナリズムの起源と流行』白石隆・白石さや訳、書籍工房早山。東南アジア研究に限らず地域研究の必読書。その議論を受け入れるにしろ批判するにしろ、まずこの本を読まなければ始まらない。

 

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