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JCAS Review

地域研究 JCAS Review Vol.17 No.1 2017  P. 23-42  公開日:2017年3月30日
研究ノート

秦腔の俳優教育の広がる教育格差が示唆すること
──唱念教育の学校化の特徴と展開に注目して

清水 拓野

関西国際大学教育学部 英語教育学科 准教授

SHIMIZU Takuya

Ⅴ 民営演劇学校の事例との比較分析
 さて、これまでの記述から、秦腔の唱念教育史においても、京劇などと同様に、徒弟制(科班)から公立演劇学校への学校化過程が顕著にみられ、それが唱念の教育実践に少なからぬ影響を与えてきたことが分かった。しかし、Ⅲ節でも述べたように、近年の秦腔演劇界には民営演劇学校もあり、そこでの教育実践は公立演劇学校のそれとは大いに格差がある。そこで、筆者が調査したいくつかの民営演劇学校の具体事例を取りあげて、陝西省芸術学校の唱念教育の特徴を相対化し、秦腔演劇界において唱念教育が二極化しつつあることを示したい。
 民営演劇学校の事例としては、秦腔演劇界でも知名度の高い西安市周至県辛家寨郷(西安の西郊外)の涇陽劇団周至俳優養成所と西安市長安区の西安芸術学院秦腔俳優養成センターの二つをあげる(清水 2011; 2015)。前者の涇陽劇団周至俳優養成所は、1980年代初頭に周至県劇団の関係者によって設立された民営演劇学校(四年制の中等教育組織)であり、2003年以降は咸陽市の涇陽県劇団と提携関係にある。当校は、今でも秦腔の愛好者がきわめて多い周至県の農村の子どもたちを対象とした民営演劇学校であり、筆者の訪問時(2014年9月)、秦腔俳優をめざす生徒は、男女あわせて48名いた。後者の西安芸術学院秦腔俳優養成センターの方は、公立演劇学校での教育経験をもつ元秦腔役者によって、2001年9月に設立された民営演劇学校(五年制の中等教育組織)である。当校の設立者は、公立演劇学校の同僚教師の教えぶりがあまり真面目でないと不満を感じ、みずから学校を作ることでより質の高い俳優教育を施せる、と考える教育熱心な人物である。筆者の訪問時(2014年9月)、当校には秦腔演劇専攻の学生が43名いた。
 このように、現在の秦腔演劇界には、こうした民営演劇学校がいくつも存在するが、ここで重要なのは、そこでは陝西省芸術学校と同様の洗練された唱念の教授法がみられず、相対的に単純な唱念の教育実践しか行われていない、という点である。民営演劇学校の状況がそうなのには、政府無認可の民営なので、国の統一的な基準ではなく設立者独自の裁量で教育が行われており、さらに教育の諸条件(教育設備の条件や教師の数や質など)が物理的に限られている、ということも関係がある。公立演劇学校と民営演劇学校の唱念教育の基本的特徴について、表1にまとめておいた。
Ⅴ 民営演劇学校の事例との比較分析
 そもそも、このような民営演劇学校の設立の背景には、1979年以降、新中国の建国以来それまで禁止されていた私立学校の設立が認められるようになったことや*10、それによって、近年観客離れが進んで不振状態にある秦腔の振興のために、秦腔を深く愛する情熱的な劇団関係者たちが立ちあがった、という事情がある。こうした劇団関係者たちは、私財を投じて、次世代の役者養成を目的とする民営演劇学校を設立した。しかし、演劇学校の経営は、秦腔の観客市場が縮小しつつある今日では金儲けにならないうえに、彼らの多くは秦腔を愛するあまり、借金までして学校運営を続けている(清水 2011)。
 したがって、大半の民営演劇学校では、国からの財政援助もないので教育予算が逼迫しており、公立の陝西省芸術学校のように多くの教師は雇えないし、声楽理論などを本格的に学ばせるための研修会に在職教師を参加させる経済的な余裕もない。そして、現在では体罰まがいのことをする封建的な師匠こそいなくなったものの、かつての科班を彷彿させるような、口伝えを中心とした比較的単純な唱念の教授法に、今でも依拠せざるをえなくなっている。教育学者の篠原は、「打工子弟学校」という出稼ぎ労働者の子弟を対象とした民営学校が近年増えつつあることを指摘するが(篠原 2009: 149-167)、私塾から発展し、教育条件に恵まれない「棚戸(バラック)学校」と呼ばれるそうした学校と同様に、秦腔演劇界の民営演劇学校も、経済的にはさまざまな制約がある。
 それに対して、陝西省芸術学校のような公立演劇学校の状況は、教育条件的にかなり恵まれている。そこには、研修会で声楽理論などを学んだ唱念の担当教員が大勢おり、ピアノも何台もあり、唱念の授業のための専門の教室まである。教室に限ってみても、民営演劇学校の場合は、教室がないので青空教室で授業をしたり、工場の作業場だったところを改造して稽古場にしたりすることもあるので、それとは大違いである(写真3と4)。唱念の教授法に関しても、呼吸法や発声法の練習も念入りに行っており、喉のしくみを踏まえた科学的な教授法を重視している。
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 というわけで、現在の唱念教育とそれを取り巻く教育環境は、このように二極化しているが、そのなかでも陝西省芸術学校の教育実践はもっとも合理的で、洗練されている、といえるかもしれない。何しろ、当校では、唱念教育専門の教育研究室で、唱念の教科書まで出版しているのである(張 2013)。また、当校では、音楽大学で声楽を専門に学んだ教員まで外部からわざわざ雇い入れて、生徒を歌唱法に違いがある若い美男子役や隈取り役などにわけて、それぞれの役柄の生徒に配慮したきめ細かい稽古を行っている。秦腔演劇界には、他にも公立演劇学校がいくつかあるが、そこでもそうしたことまではやっていないのが現状である。
 そして、陝西省芸術学校の教育実践は、民営演劇学校よりもはるかに顕著な成果をあげてきた。唱念教育研究室の主任教師の指導の下で、高度に洗練された教授法を実施してきた結果、科班時代と比べて、声変わりが順調に進まなかったり、喉を痛めて若くして役者をやめざるをえなくなったりする生徒(吼えるような歌い方で喉を酷使する可能性が高い隈取り役の者も含めて)の数は、激減したのである。民営演劇学校には、相変わらず声変わりや歌唱力向上に関する問題などを抱えている生徒は多いので、これは大きな違いである。さらに、陝西省芸術学校の唱念教育は、学外では秦腔演劇界の各劇団や演劇学校の注目を集め、唱念の教師たちのところには、他の演劇学校の生徒から個人レッスンの依頼がきたり、地元のテレビ局から秦腔関連の番組への出演依頼がきたりするようになったほどである。一方、当校の唱念教育の成果は、生徒の演技(とくに歌唱力)にも少なからぬ影響を与えており、唱念教育の洗練が本格化した当初の1986年~1997年の期間に限定してみても、省や市のレベルの演劇大会において、生徒は一等賞や二等賞などを計14回も受賞している(陝西省芸術学校 1998)。こうした演劇大会では歌唱力がきわめて重視されるが、当校ほど教育環境が整っておらず、洗練された教授法を実践していない民営演劇学校では、このような成績をあげることが非常に難しい。


Ⅵ 学校化についての考察
 次に、調査事例からえた知見を伝統演劇教育の学校化との関連で考察する。これまでの記述内容を踏まえると、唱念教育の学校化は、科班から公立演劇学校への封建的色彩を払拭した変遷過程を背景として、声楽理論などの影響を受け、喉の構造や発声に関する科学的な知識を重視した教授法の洗練、という形で進行してきたといえる。ただし、そうした学校化は、秦腔演劇界でも一様に進行しているわけではなく、とりわけ教授法の洗練に関しては、公立と民営の演劇学校の教育実践の差にみられるように、ある程度の学校間格差も存在する。民営演劇学校でも、唱念の洗練された教授法を実践したいと考えている者は多いが、予算問題や教師の質の問題などもあって、なかなか思うようにはいかないのである(cf. 山口 2000)。興味深いことに、同様の洗練の過程とその学校間格差については、たとえば立ち回りの授業(空中回転を含む高度な身体技を習得する科目)などにもみられる、ということもつけ加えておきたい。陝西省芸術学校では、この授業に体操の練習法などを取り入れ、生理科学を踏まえて稽古の効率を向上させ、その安全性を確保することに励んできたが(田 1996; 1999; cf. 李 2010)、民営演劇学校では、やはり教育予算や教師の教養レベルの関係で、口伝えを中心とした旧来の教授法に依存せざるをえない*11(写真5)。したがって、秦腔演劇界において、こうした形での学校化と学校間格差は、唱念教育に限らず、俳優教育の他の分野に及ぶものでもあるといえる。
Ⅵ 学校化についての考察
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 もっとも、そうした学校間格差の問題は、公立と民営の演劇学校のあいだの経済格差だけに由来するのではない。それは、学校指導部の意向とも関係がある。とりわけ唱念教育の場合はそうであり、陝西省芸術学校では、文革終結後の当校の再開当初(1980年代初頭)に在任していた校長たちが、唱念教育をとりわけ重視したので、唱念の担当教師を声楽理論などの研修会に参加させたり、唱念の授業を統括するために唱念教育研究室を設置したり、音楽大学から声楽教師まで雇い入れたりしたのである*12。そして、当時の校長たちが唱念教育にそこまで力を入れたのは、彼らが役者出身であり、役者にとって歌唱力が重要であることを熟知し、文革によって中断されていた秦腔の俳優教育の再建は、唱念教育から始めるべきであると認識していたからである(盛 2002: 45-47)。これは、唱念教育の学校化が、学校指導部の意向にも影響を受けることを示している。
 また、教育内容・方法における公立と民営の学校間格差の問題は、民営演劇学校の経営者が独自の裁量で教育を行っていることとも関係がある。公立の演劇学校であれば、国定の課程基準にしたがって、ある程度の質のカリキュラムを提供しなければならないが、そうした枠組みに依拠しない民営演劇学校では、徒弟制のように教育の内容や方法も経営者しだいのところがある(cf. 野村 2003)。そして、民営演劇学校では、それぞれの予算規模や教育条件に応じて実現可能な俳優教育を実践している。たとえば、西安芸術学院秦腔俳優養成センターは、年間3,000万円ほどの低予算(陝西省芸術学校の約50分の1)で運営しており、その予算で招聘可能な数と教育レベルの教員で授業をしている。したがって、当校では、より人件費の高い声楽理論などに精通した高学歴の唱念教員は雇えないし、課程基準によって洗練された唱念の教授法の導入を奨励されているわけでもないので、設立者の人脈を介して集めた西安市長安区の田舎劇団の元俳優たちに唱念教育を任せている。彼らは高齢の退職俳優で、旧来の唱念の教授法しか知らないが、当校の設立者はその舞台経験の豊富さを評価し、それで十分として唱念教育を委ねているのである。
 以上のことから、教授法の洗練化という形での唱念教育の学校化は、学校の経済的な余裕だけでなく、唱念技能を重視する学校の教育方針による積極的な支持と、各学校経営者任せの実践を超えた課程基準によるカリキュラムにしたがった教育内容・方法の枠組みもあって始めて、継続的に推進することができるという点が指摘できる。しかも、そうして洗練化された唱念の教授法は、一方では前節で述べたように、演劇大会などにおける生徒の成績にも良い影響を与えており、他方ではそれ自体がある種の権威性を帯びて(cf. ジョーダン 2001: 184-187)、陝西省芸術学校で秦腔を学んだ者に箔を付けている。すなわち、そうした洗練化された教授法は、歌唱力や演技術の向上に効果的であり、「標準的な演技の型(動作的に正確で、見栄えの美しい型)」の習得を促進させるとして、社会的評価が高いのである。たとえば、陝西省芸術学校の唱念教育は、学生に秦腔の歌やせりふの語句の標準的で正確な発音を身につけさせるという点でも評価されている(cf. 楊 2015: 320-341)。秦腔演劇界では、当校のような公立演劇学校の卒業生は、民営演劇学校の出身者よりも給与待遇などが相対的に良い市や省の劇団に就職する傾向にあるが、その背景には業界でこのように高く評価されている権威的な教授法(立ち回りの授業などのそれも含め)で稽古を受けたということも重要な要因としてあげられる。まさにこうした諸要因の重なりが、公立と民営の演劇学校の教育格差を一層顕著なものにしているのである。


Ⅶ おわりに
 本稿では、秦腔の唱念教育に焦点をあてて、伝統演劇教育の学校化について記述・分析してきた。最後に、そうした学校化は今後どのように展開し、現代中国においてそれがもたらす教育格差はどのような意味をもつのか、という点について考察してみたい。
 まず、一般に中国伝統演劇界では、教授法の改善は俳優教育の質の向上と直結している、と多くの教師に捉えられているので、学校化は今後も教授法の革新・洗練という形で一定の範囲内で進行し続けるものと思われる(董・徐主編 2012; 杜主編 2010)。そして、俳優の歌唱力は非常に重視されているので、陝西省芸術学校のようなきわめて組織的・体系的な公立演劇学校では、潤沢な教育予算と専門訓練を受けた教師たちを背景として、唱念教育にはとりわけ力が注がれるだろう(唐 2010)。こうした動向は、秦腔に限ったことではなく、程度の差こそあれ多くの伝統演劇においてみられるはずである。
 ただし、秦腔の場合は、とくに農村地域では熱烈な愛好者・実践者によるアマチュア上演団体や民営劇団も多々存在し、廟会や冠婚葬祭など民衆の生活に今でも深く根づいている大劇種(伝承範囲が広く、実践者数が多い芸能)である。したがって、秦腔演劇界では、都市部を中心により限定的な市場しかもたない小規模な劇種と比べて、農民の子どもを対象とした民営演劇学校を作ろうという動きは、より顕著であると思われる。実際、民営演劇学校の経営は金儲けにはならないものの、それでも秦腔の活性化に貢献したいと考えて、限られた資金で学校経営に携わる秦腔好きの者は、まだまだ少なくないのである*13(清水 2011; 2015)。孫存碟、斉愛雲、李愛琴などといった著名な秦腔俳優たちも、みずからの民営演劇学校を設立したことがある。ところが、そうして作られた民営演劇学校は、教育予算や人的資源の都合で、経済的に余裕のある公立演劇学校のような教育実践は真似できない。そして、公立演劇学校との教育格差を縮めるのは難しいので、教授法の洗練を徹底する度合いは、秦腔演劇界では今後も現在のようにある程度は二極化し続けるだろう。民営演劇学校では、唱念教育に限らず、立ち回りの教授法の洗練もあまり徹底されていないが、その点もこうした教育格差の存在を示唆している。
 では、現代中国において、秦腔演劇界のこうした格差は、どのような意味をもつのだろうか。まず、私立学校一般における教育格差の問題と対比してみたい。中国の私立学校関連の研究によると、文革後に私立学校が復興してから、華僑運営国家助成型や企業共同運営型や個人設立型などというように運営主体と運営方式は多様化しているが、その多くは秦腔の民営演劇学校と似たような問題を抱えていることが報告されている(寧 2001)。すなわち、経費不足や運営条件の不備、及び、退職教師の採用による教員の入れ替わりの激しさ、といった問題である(鄭 2001: 285-287)。もちろん、富裕層の子女のための貴族学校のように、立派な建物、最先端教育設備、優秀な教師を備えている私立学校もあるものの、Ⅴ節で述べた打工子弟学校のように、教育条件に恵まれない貧しい学校も多い(八尾坂・呂 2003: 103-104)。そもそも後者のような私立学校が登場するようになったのは、政府が私立学校設立という新興事業に対して経験不足であったにも関わらず、教育の財政困難などにより政府だけで国民の学習ニーズを満たすことが難しくなったので、国家の学校運営の補完と教育多様化の確立をめざして、急速に教育の民営化を進めてきたことも背景にある(鄭 2001: 285-287)。そうした状況下で、運営目的があいまいで、利益を追求し過ぎるあまり、学生確保に苦労して経営が悪化し、貧困化する私立学校も出てきたことが、学校間格差を引き起こす重要な一因となっている。
 一方、秦腔の民営演劇学校に目をむけると、限定的な物理条件や教育レベルという点では他の貧しい私立学校と似通っているものの、その設立の背景や教育格差の実態はやや異なる。秦腔の場合は、文革によって俳優教育が中断され、後継者育成が急務になっていたので、1980年代初頭には状況を何とかしようという気運が民間でも高まっていた。さらに、秦腔は広大な農村市場を抱えており、金儲けにならなくても自前の学校で人材育成し、秦腔を活性化しようという熱心な劇団関係者や秦腔役者が少なくない。そして、彼らは、文革後に私立学校の設立が法的に可能になると、秦腔の熱狂的なファンが多い農村地域の子どもたちを対象として、民営演劇学校を開校するようになった。また、近年の彼らは、中国における無形文化遺産登録ブームに触発されて、2006年に無形文化遺産となった秦腔の後継者育成に一層の使命感を燃やし、俳優教育に取り組みつつある(cf. 櫻井ほか 2011: 6-9; 清水 2014: 15)。ところが、もともとおもに貧しい農民の子どもたちを対象にした学校であるうえに、学校設立に関わる劇団関係者や秦腔役者の多くも裕福とはいえない田舎劇団出身なので、民営演劇学校の教育予算や物理条件には限りがあり、公立演劇学校とは初めから大きな教育格差がある。このように、秦腔演劇界における公立と民営のあいだの学校間格差は、他の貧困化している私立学校と同様に、私立学校の存在を認める文革後の法改正に端を発しているものの、秦腔の人材育成過程が文革によってダメージを受けてきたことや、秦腔が広大な農村市場をもっていることとも関係しているのである。その点で、政治に翻弄されつつも、農村地域を中心に継承・発展してきた秦腔という芸能の独特の展開を示している。

 ここで重要なのは、こうした民営演劇学校の存在は、徒弟制から公立演劇学校への学校化過程を「進化論的」に捉える従来の伝統演劇教育研究の観点とは違って、現在の秦腔演劇界に昔の科班よりも進化したとは必ずしも言い切れないような教育組織があることを示す、という点である。また、それと公立とのあいだの学校間格差は、教授法とその成果における格差に止まらず、学生の家庭の経済格差とも関連しており、学費が五倍以上も開きがあるので、能力があっても学費が安い民営演劇学校にしか行けない学生がいる一方で、お金で陝西省芸術学校などのエリート教育を買える学生もいる。このことは、格差問題についてほとんど言及しない先行研究の想定以上に現在の伝統演劇界は格差社会になっている、ということを示唆するのだろう。何しろ、秦腔俳優は民国期までは貧しい者が従事する職業であり、新中国の建国後は人民に奉仕する戯劇工作者(出身階級や政治思想を問われたものの)として保護され、役者志望者は1980年代まで公立演劇学校の学費も全額免除されていたのに、今や質の高い俳優教育を受けて業界内でより有利な位置に立つには、役者としての能力だけではなく、お金も必要な時代になったのである。歴史的にみても、これは大きな変化であり、より多くの国民に教育の機会を提供するため改革開放以来奨励されてきた私立学校の設立が、こうした格差問題と絡んでいるのは皮肉なことである。
 かくして、本稿では、徒弟制から公立演劇学校への一元的な学校化過程のみを前提とする先行の伝統演劇教育研究の視点に異議を唱え、私立学校の設立が可能になった1979年以降に登場した民営演劇学校の動態にも注目した。そして、唱念教育の教授法を中心とした教育実践上の学校間格差の存在を指摘し、現代中国におけるその意味を考察するとともに、洗練された教授法の教育効果や社会的インパクトの実態についても記述・分析した。このように、伝統演劇教育の学校化過程は、従来の一元的な発展史観では捉え切れない展開をみせており、それは教育格差などの新たな問題をも提起するので、貧富の差が拡大している現代中国では、こうしたテーマは今後ますます注目に値するだろう。
Ⅶ おわりに
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*10 私立学校とは、企業、民主諸党派、社会団体、大衆組織、学術団体、個人、海外華僑・華人などの設立・運営による学校を意味しているが、新中国の成立後、私有経済制度が消滅し、一元的計画経済体制が確立されるなかで、私立学校は1956年に一旦廃止され、1979年までは認められなかった。しかし、教育に対する社会と個人の需要が高まり、政府が公立学校への教育経費投入の限界に直面するなかで、私立学校は文革後に復活し、その設立が法的にも奨励されるようになった(鄭 2001: 257-272)。
*11 たとえ洗練された教授法に魅力を感じていても、涇陽劇団周至俳優養成所のように、立ち回りを稽古する専門の教室もなく、青空教室で授業せざるをえない状況では、立ち回りの教え方まで考えていられないのである(写真6)。
註11~13
*12 立ち回りの授業の場合も、学校指導部の意向から影響を受けたが、唱念教育の改革ほどは盛り上がらなかった。そもそも立ち回りの技能は、唱念の技能ほど重視されていないからであり、唱念教育研究室のような専門の教育研究室も、校内には作られていないし、専門の教科書も出版していない。

*13 実際、大きな演劇大会で生徒が優秀な成績を収め、メディアに注目される民営演劇学校も出てきているほどである(清水 2011)。
参考文献
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参考文献

■著者紹介
①氏名(ふりがな)……清水拓野(しみずたくや)

②所属・職名……関西国際大学教育学部英語教育学科・准教授
③生年と出身地……1971年京都生まれ
④専門分野・地域……文化人類学/教育人類学・中国西北地域
⑤学歴……東京大学大学院総合文化研究科(文化人類学専攻)
⑥職歴……神戸女学院大学、関西学院大学、佛教大学、京都女子大学等兼任講師(2003年4月~2015年9月)、関西国際大学教育学部英語教育学科・准教授(2015年9月から現職)
⑦現地滞在経験……中国西安市・陝西師範大学へ調査留学(2000年9月~2002年9月)
⑧研究手法……日本には文献資料がない中国の地方演劇を研究しているため、フィールドワークは欠かせず、フィールドでの経験はとても貴重なものとなっています。アンケートは滅多にやりませんが、インタビューや参与観察を中心として用い、特に、芸の習得過程などを明らかにするために、マイクロエスノグラフィー的な手法で、細かい項目を決めた参与観察をやっています。
⑨所属学会……日本文化人類学会、日本教育社会学会
⑩研究上の画期……研究する上で画期となった世界史的なできごと、というのは特にありませんが、日本人として中国を研究しているので、日中関係の動向には常に影響を受けてきました。例えば、尖閣諸島問題などで日中関係がいつもよりギクシャクすると、研究調査も簡単ではなくなります。
 フィールドと関係のないところでの重要な変化といえば、スマホの普及でしょうか。それによって、どこでもネット検索が出来るようになり、研究者が何年もかけて苦労して集めた地域の詳細情報よりも、簡単に検索できるネット情報の方が、学生には魅力的と映ることが多いようで、それを意識した授業作りにもならざるをえなくなりました。

⑪推薦図書……韓敏編(2015)『中国社会における文化変容の諸相――グローカル化の視点から』風響社。私も一章を書いていますが、この本は中国に関連する本であるものの、グローバリゼーションが特定社会の中でどのようにグローカル化しているか、という観点から読めば、他の国や地域を研究する人にも参考になると思います。

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